誰かの日常

どっかの誰かが考えていること。どっかの誰かが悩んでいること。どっかの誰かが生きていること。脳内で生成させる誰かの日常を切り出した永遠の中二病ブログ

相方が亡くなった

特急電車に揺られている時にふと相方のことを思い出したから綴っていく。

 

そういえば今日履いているジーンズも相方のお兄さんのものだ。

私服がダサい自分に「似合うと思うから履けよ」っていってくれたジーンズだった気がする。もう何十年も前の話だ。

ずっと衣装ケースの中で眠っているだけだったから履いておこうと思って履いたんだ。なかなか似合ってる。

 

2020年10月。本当に突然の訃報だった。

当時付き合ってた彼女と、自分の家に向けて歩いてる途中だったな。動いたことのないクラスのLINEグループから通知が来たんだよ。改行してる兼ね合いで“訃報”としか表示されてなかったから、誰かが死んだのか。と思って開いたら、相方の名前が書かれていた。

 

驚くとか、そういう次元の話じゃなかった。素直に言うと笑ってしまったな。固まって、笑って、後から焦りがきた。本当に信じられないことが起きた時、人ってそうなるんだなって思ったよ。

信じられなくてそのまま電話をかけた。メッセージの送り主は自分とも相方とも仲良かったツレだ。

ツレもかなり驚いていた様子だった。数年ぶりに聴く懐かしい声から、悲しみや焦りが溢れていた。

細かくはないが、経緯も聞いた。でも、あんまりそれは“死”に結びつかなかった。

結婚して、子供が2歳になったばっかりだった。

 

相方は、自分の尊敬する人でもあった。背は小さいけど、普通にイケメンだし、ギャグセンスもそれを使って人を笑わせることもできるし、服のセンスもいいし、おしゃれだし、自分とは正反対のやつだった。

なんで相方って呼んでるかというと、高3の文化祭で漫才をしたからだ。1年の頃から2人の名前をもじった芸名を名乗って漫才をしていた。それが先輩にも後輩にも認知されていたから最後に漫才をした。

文化祭に向けてネタを書いて、合わせて。

そんなことをしていたあの時間は、自分の中で1番の青春だ。恋愛も何もかも充実した学校生活を送れたのは全部相方のおかげだといっても過言ではない。

 

何が書きたいんだろうね。文章がめちゃくちゃになってきた。

物書きになって“校閲”のしんどさを知ってるが、今回は度外視でいく。なにも考えずに綴っていく。

 

電話を切ってすぐ、自分は自室の万年床に崩れ落ちた。しばらく泣いていた気がする。その横で頭をずっと撫でてもらっていた。

当時はコロナ禍で、自分は甲信越にいた。地元は鹿児島。立場ある仕事をしていたから葬式にも行けず。

 

結局相方に会えたのは2021年の10月。5年ぶりの帰郷だった。お母様にも会ってきた。相方にお別れもした。お母様に無理を言って、服を1着もらった。今思えば本当に無理なお願いを聞いてくれたお母様に頭が上がらない。

 

これからも定期的にお前の事を思い出すと思う。あの日々を思い出すと思う。大事なことを忘れないように。これからの大事も編んでいけるように。

 

突然打ち切られた漫画のような終わり方で申し訳ない。

ありがとう。